中高一貫校に行けなくなる生徒あるある
もくじ
①小さい頃から親にレールを敷かれて、自分で決められない依存気質に・・・
②エリートの身内に言葉で虐げられる日々の中で、自己肯定感が下がってしまう
③志望校に合格して一瞬自信を持つが、レベルの高いクラスメイトに圧倒される
④プライドは高いが、成績が伴わず自暴自棄に
⑤問題なのは、自分で行動を決められないこと
⑥まずは自分で小さな目標を立て、自分で行動して少しずつ自信を取り戻す必要性がある
①小さい頃から親にレールを敷かれて、自分で決められない依存気質に・・・
私が適応指導教室や通信高校サポート校、家庭教師としてお仕事をさせて頂く中で、本当にたくさんの中高一貫校の生徒さん(「元」も含む)を見て来ました。
その中で、不登校になったりメンタルの不調を著しく訴えたりする生徒さんには共通点があることに気づきました。
必ずしも皆が同じと言うわけではありませんが、私の見解を書いていきます。
私もそうだったのですが、中高一貫校の生徒だからと言って、必ずしも皆「勉強が得意」なわけではありません。
小学校までは、そんなに難しくない勉強でそれぞれの環境で良い成績を取っていた生徒であっても、中学に入ると途端に学習の難易度が上がるため、それまで「優秀」だった生徒ほど「あれ?こんなはずではなかった・・・」に陥りがちなのです。
中高一貫校を受験する生徒のほとんどは親が教育熱心であるため、幼少期から何かしらの習い事をしたり、塾に通ったりしています。
親の言う通りに目の前の勉強をしていれば、親の機嫌が良くなるため、自分を守るために子供は学習を頑張ります。
しかし、その「習い事」「学習塾」が始まるよりも前にもともと持っていた「純粋な知的好奇心」は、徐々に失われていきます。
私たちは、この世に生を受けた直後から、目の前に広がる世界に対して無限の「興味」を持ちます。
「この丸いものは何だろう?」「この動くものは何だろう?」「この人は何を話しているのかな?」
その興味に従って行動するので、何でも舐めるし何でも触ろうとします。
もちろん、中には子供にとって危ないものはたくさんあるので、親は常に見守っている必要はありますが、「あれもダメ」「これもダメ」ではなくて、基本的には子供が自分で行動して自分で学ぶまでは見守っていた方が良いのです。
子供は自分で舐めた目の前のものが気持ち悪かったら二度と舐めませんし、触って熱かったり痛かったりしたら二度と触らないでしょう。
しかし、教育が大好きな親達は、子供にあれこれ口を出す傾向が強いのです。
子供を安全な環境で育てるために、子供が正しい知識を得られるように。
そして、子供の手に余る多くの教材を、親は子供に与えるのです。
子供が、目の前の教材以外の物に興味を示したら「よそ見をしている」と注意し、その対象が汚かったり危なかったりしたら「近づいてはいけません。」と興味の対象から引き離す。
子供は、教材の中でしか学習することができなくなっていくのです。
そして、親は「自分の思い通りに」子供を育てようとしてしまいます。
その動機は悪いものではなく、「子供は自分に似ているはずなので、自分がした失敗を経験させたくないから、こっちの道に進ませてあげよう」という親心からくるものです。
しかし、親と子供は全くの別の人格であるし、親がした失敗なんて子供には分からないので、ただ親が敷いたレールに乗って生きていくしか術がなくなってしまうのです。
すると、どうなるのか。
子供は自分の「意思」を示すことを恐れるようになり、親が敷いた「安全」なレールにさえ乗っていれば怒られない、すなわち「楽」であることを学習します。
その結果、自分の意思で行動できない、自分で選んで自分で決めることが出来ない子供になってしまうわけなのです。
②エリートの身内に言葉で虐げられる日々の中で、自己肯定感が下がってしまう
中高一貫校の生徒のほとんどは、両親も兄弟姉妹も高学歴であったり、祖父母が教師であったりすることが多いです。
教育系エリート一家に生まれてしまうと、常に周りと自分が比較される環境で育つことになります。
その中でも、うまくやれる要領の良い子供は良いのですが、要領の悪い子供は両親や兄弟から「何でこんなことが出来ないの?」という目で見られてしまいます。
「うちからこんな出来の悪い子がでるなんて」と言われることもあります。
本人は、それでも頑張っているのですが、そんな目でずっと見られながら育っていたら、本人が他のクラスメイトよりは成績が良かったとしても、劣等感に苦しむことになります。
最悪の場合、両親や祖父母から暴力を振るわれることにもなります。
私の場合は、幼稚園の頃から成績は良かったので劣等感に苦しむことはなかったのですが、勉強を少しでもサボろうとすると、家の前の川に投げ落とされそうになりました。
私を抱えて落とすフリだけだったのですが、幼児の私からしてみたら恐怖でしかありません。
手をあげられることもしょっちゅうでした。
そうなると、ひたすら、両親の言う通り勉強をして、親の満足感を満たしてあげるしかないんですよね。
幼少期からレールを敷いてくる親の支配下にいると、そこで良い子にしていれば安全ではあるため、親に逆らおうとする気持ちは無くなります。
逆に親の支配下から抜け出せず、完全に親に「依存」することになってしまうのです。
③志望校に合格して一瞬自信を持つが、レベルの高いクラスメイトに圧倒される
小学校の問題は比較的簡単なので、中学受験をすればどこかに合格はします。
そこで、自分に対する自信を少し取り戻してプライドを持ちます。
「私は、◯◯学校の生徒だぞ!選ばれた人間なんだぞ!」と、変な錯覚を起こします。
それまで、家族から「出来ない子」レッテルを貼られていたのであれば、見返すことが出来ます。
しかし、中学に入ってから、周りが自分よりも皆できる人たちばかりなので、最初の中間試験で史上最低点を取り、まさかの学年で最下位から数えた方が早い順位になります。
その成績表に自分は愕然として、また一気に自信をなくし、それを見た親にも失意に満ちた表情をされて、完全に自信が砕け散ります。
自分に自信がなくなると、人間関係もうまくいかなくなります。
思春期を迎える時期であるため、小学校までは気にならなかった些細なお互いの態度が気になるようになります。
特に、公立小学校の時と違って、中高一貫校は周りがハイソであるため直接的なイジメはありませんが、悪意のある嫌味などが飛び交うようになります。
そのこともまた、自分の存在をどんどん追い詰めていくようになり、もともと自己肯定感が低いと「私は何をしてもダメな人間で、周りから認めてもらえない存在なんだ。」と、自分を否定することにもつながっていきます。
自分でダメだと思い込むと、それを挽回しようとする意欲もなくしてしまうので、ますます勉強が手につかなくなります。
完全なる悪循環です。
学校では1人になってしまい、学校に通うだけでしんどいので授業を聞いている場合ではありません。
そのうち、通うこと自体が出来なくなり、不登校へとつながっていくのです。
④プライドは高いが、成績が伴わず自暴自棄に
そのように、自信をなくしてしまうのですが、プライドだけは何故か高い。
それが、中高一貫校の生徒の特徴です。
「自分はやればできる人間だ。」
と、中学に合格した時点で変なプライドを持ち、気持ちだけで今まで自分を虐げてきた環境を見返そうとするのです。
親のレール以外の道を知らず、しかもその道を「史上最高」の道であると幼い頃から思い込まされる。
自分たち以外の家族(特に、教育にあまり関心のない家族)のことは完全にバカにしており、自分の生まれをただ最高だと思っている。
親も兄弟も祖父母も優秀なんだから、自分も優秀な遺伝子は持っており、だから中学に合格した。
自分ができないのは、周りの環境のせいなんだ・・・
一見、矛盾していますが、自分の中では筋を通そうとします。
人間とは、自分の行動や思考に一貫性がないと、生きていけない生き物だからなのです。
しかし、親や教師から見れば
「何を甘えたこと言ってるの?」
となってしまいます。
生徒が何を言っても「甘え」「言い訳」「都合の良い解釈」にしか聞こえません。
生徒とて、頑張りたいのです。
せっかく頑張って入った中高一貫校を辞めたくないのです。
公立に戻ったら、自分の存在価値がなくなってしまうように思っているのです。
それでも、根本的な自分の「問題」が何であるのか理解が出来ないので、「いっそのこと、死んでしまおう。」と、狂言自殺を図ったり、グレる真似事をしたり、スマホで知らない大人と連絡を取ったりと、不適切な行動を取り始めるのです。
自分がどれだけ辛い状況なのか、家族に気づいてもらいたいのですね。
他に伝え方を知らないので。
それまで「良い子」だった自分は、親の言うことに矛盾する発言をすることが出来ない→要は面と向かって反抗が出来ないので。
⑤問題なのは、自分で行動を決められないこと
私もそうだったので、自己分析をしたり、色々な生徒さんたちを見たりして導き出した一つの答なのですが、「根本的な問題」は、
幼少期から自己決定・自己選択をする機会が著しく少なく、心理的離乳ができない状況にあるため
であるのではないでしょうか。
親のレール以外の選択肢を考えることも出来ないのです。
親から思い込まされてきた「学歴至上主義」の考えから抜け出せないのです。
学校の勉強が出来なくても、他に能力を磨く機会はいくらでもあったはずです。
将棋でもいい、ピアノでもいい、絵を描くでもいい、野球でもいい、雑学に詳しいでもいい。
でも、教育系エリートの家系では、趣味と勉強は切り分けて考えます。
勉強はできて当たり前で、それに付随して他の趣味も出来るのならなお喜ばれます。
もし、他の趣味において能力を磨いてそれで自分を認められる環境であれば、成績が悪いことでそこまで自暴自棄な行動をとったり矛盾した発言をすることはありません。
学校の成績以外での、自分の価値をしっかり自分で知っているからです。
また、自己選択・自己決定ができる環境で育った人は、自分の行動で起きた「結果」の「原因」は、すべて「自分に帰属する」と考えます。
成績が悪かったのは、勉強が足りなかったからだ。(やり方が悪かったからだ。)
では、勉強をする?(やり方を変える?)それとも、このままで良しとする?
そんな考え方をすることが出来るので、成績が悪くても自信をなくすことがないのです。
全部、自分で好きで行動していることの結果が返ってきているだけなのです。
自分で選ばないで、本当は好きでもないのに勉強をしている場合、結果の原因は「人のせい」になります。
楽しくもないのに勉強して、それでいて結果が悪い。
自分の時間返せ、となるし、先生の教え方や親の育て方が悪いせいだと思うことが本当に多いです。
幼少期から「この道しか通ってはいけない」と言われているので、自分で他の選択肢を選ぶことも出来ない。
親のレールから降りるのが怖いくせに、親のレールを憎んでいる。
そんな自分に絶望します。
⑥まずは自分で小さな目標を立て、自分で行動して少しずつ自信を取り戻す必要性がある
そんな生徒様に、行っていただきたい周りのサポートは
「自己選択・自己決定できる環境を作ること」です。
同じ中高一貫校の生徒であっても、中学受験の際に「コーチング」を周りの大人がうまく利用して、自分で計画を立てて自分でそれをやるかどうか決めるサポートをされている人は、中学に入ってからも自分で計画を立てて学習を進めることが出来ます。
教育系エリート一家のご家族様は、「出来ない自分の子供」を見て、「出来ないなら、大人が導いてあげないといけない」と思い込んで、その子供の些細な行動も周りの大人が決めたものを差し出す傾向にあります。
それでは、本人にとって意味がない。
自分より出来ない子供かもしれませんが、そもそも、人間は1人1人違うことが当たり前。
出来る出来ないの解釈も、あくまで親の価値基準によるものです。
たまたま、エリート一家は似ている人が多いから、その子供だけ「出来ない」ように見えても、他の視点から見れば素晴らしい能力を秘めている可能性があるのです。
また、少し接し方や教え方を変えるだけで、学習も劇的に伸びる可能性は十分あります。
その子供のペースにとことん合わせて、無理に引っ張るのではなく、「興味を引き出す」関わり方をしてあげて欲しいのです。
子供と同じ目線に立ち、子供と同じ目標を持って。
そのために、目標と行動計画を一緒に考えてあげると言う「コーチング」を行っていただきたいのです。
どんな小さな目標でもいい。
例えば、朝30分早く起きて単語の発音練習をするでも良し、寝る前に学校の復習を10分行うでもよし。
ちょっとしたことでいいんです。
小さな目標を自分で立てて、それを計画通りに行ってクリアすることが、子供の自信につながっていくのです。
計画通りにいかないのであれば、計画を自分で修正するだけです。
落ち込む必要は全くありません。
「自分で考えて、自分で選んで、自分で決めていいんだよ。」
周りの大人は見守ることが大切です。
特に、親が「コーチング的な関わり方」を子供にすることが望ましいです。
最初の頃は、自分で計画を立てることに慣れていない子供は戸惑うでしょうが、それも習慣の問題です。
最初の頃は、選択肢をいくつか提示して、そこから選んでもらうことも必要ですが、最終的には「どんな選択肢があるか」自分で調べることが出来るようになっているのが理想です。
自分で選んで決めて行動した結果であれば、例え目的に届かずとも後悔はしません。
むしろ、その経験を糧にしようという気持ちになります。
行動に対する「自己責任能力」を養うことが出来るのです。
自己責任能力のある人間は、人のせいにしませんし、自信を失うこともありません。
そして、行動したことの「経過」そのものが、自信に繋がっていくのです。
とはいえ、大人でも「自己選択・自己決定」は難しいこと。
一朝一夕で出来るようになることではありません。
それでも、自分を認めて許すことが大切なのです。
そんな自分そのものが自分なのです。
「自己責任」と「自責の念」は似ているようで全く違います。
大人も子供も、自分を認めて自分を愛し、もしうまくいかなくても「ま、いっか!次がある!」くらいの気持ちで楽に生きていけると、「自己否定」や「依存」は無くなっていくのではないでしょうか?
最後までこの記事を読んでくださり、ありがとうございました。